2008.04.21(Mon)

「風琴と魚の町」林 芙美子 ~傑作選 

  ひどく爽やかな風景である。
 私は、蓮根の穴の中に辛子(からし)をうんと詰めて揚げた天麩羅(てんぷら)を一つ買った。そうして私は、母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた。

……… 中 略 ………

 …… 母は父の鳴らす風琴の音を聞くとうつむいてシュンと鼻をかんだ。私は呆(ぼ)んやり油のついた掌(てのひら)を嘗(な)めていた。
「どら、鼻をこっちい、やってみい」
 母は衿(えり)にかけていた手拭(てぬぐい)を小指の先きに巻いて、私の鼻の穴につっこんだ。
「ほら、こぎゃん、黒うなっとるが」
 母の、手拭を巻いた小指の先きが、椎茸(しいたけ)のように黒くなった。
 町の上には小学校があった。小麦臭(くさ)い風が流れていた。
「こりゃ、まあ、景色のよかとこじゃ」
 手拭でハタハタと髷(まげ)の上の薄い埃(ほこり)を払いながら、眼を細めて、母は海を見た。
 私は蓮根の天麩羅を食うてしまって、雁木(がんぎ)の上の露店(ろてん)で、プチプチ章魚(たこ)の足を揚げている、揚物屋の婆(ばあ)さんの手元を見ていた。

……… 中 略 ………

 遠いところで、父の風琴が風に吹(ふ)かれている。



 これは僕が中学2年生のとき国語の教科書で教わった林芙美子の「風琴と魚の町」の一節です。 行商をしながら町から町へ移り住む生活を続けていたころの尾道での少女時代を描いた自伝的短編。流浪の生活の中で文学に救いを見いだし、やがて国民的作家となってゆく芙美子の原風景を活写している名作です。同じように複雑な事情をかかえて生活をしている人たちへの温かいまなざしも垣間見える作品で、強烈なインパクトがありました。

 ※ 風琴(ふうきん) …… 「手風琴」の略。 アコーディオンのこと。



    林芙美子 「風琴と魚の町」 全文

    林 芙美子 パリ日記
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